三国志5(カテゴリ三国志)
董卓に対する動きに各州の将も黙ってはいませんでした。
袁昭、孫堅(孫権の父親)などが立ち上がりました。
袁昭を総大将として董卓軍との戦いが始まりました。
劉備たち三人は、兵を繰り出した公孫讃と出会い、公孫讃の兵と共に、董卓軍と戦うこととなりました。
◆都の遷都 各州軍の戦い◆
連合軍と董卓軍との戦いは壮絶なものでした。
董卓軍の将である華雄(かゆう)は優れた将で、連合軍をじりじりと追い込んでいきました。
その勢いを止め、連合軍が優位になったのは、劉備の義兄弟、関羽雲長でした。
関羽は華雄と一騎打ちを行い、見事に華雄を破りました。
形成逆転となり、連合軍は董卓軍を追い詰めることとなりました。
これを虎牢関の戦いといいます。
董卓は劣勢になったことを感じ、現在の都である洛陽から、長安に遷都しました。
その際洛陽に火を付けました。洛陽に代々住んでいた農民も移動を強要され、
故郷が燃え崩れていくのを嘆き悲しみました。
この時孫堅は洛陽で皇帝のみが持つことを許される玉璽を見つけました。
董卓が長安に遷都したことにより、連合軍は各州に戻ることになりました。
その後各州の将達は領土拡大を狙い、戦いがしばしば行われた。
連合軍でも力を持っていた孫堅が、荊州の劉表と戦いましたが、劉表の策略により、
敗北することとなりました。
よって孫軍は散り散りになり、孫堅の息子兄弟も袁術の元に身を寄せました。
(孫策、孫権などです)。
連合軍の総大将を務めていた袁昭は、公孫讃を破り、河北地域を統一していました。
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2009年11月15日
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