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2013年11月17日

三国志7

呂布は、養父である丁原、そして今回呂布の才能を引き出した董卓までを殺害したにもかかわらず、国を制圧することができませんでした。

力を持っていながらにしてのこの不幸さは後々に自らの死を持って知ることになります。

呂布が董卓を殺害したことで、再び世の中は乱れ始めました。

また黄巾族が出没し始め、暴れ始めました。

朝廷はすぐにこの黄巾族を制圧するように曹操に命じました。

曹操は黄巾族を制圧する為に、兵を動かし曹操の力を示すにふさわしい迅速な制圧をしました。

朝廷はこの曹操の迅速な対応、手柄に対して鎮東将軍の称号を与えました。

曹操はこの鎮東将軍の称号よりもっと大きな利益を得ました。

今後にもっとも役に立つものを手に入れました。

それは今までの戦いを通して、敗北した各軍の降伏してきた賊軍約三十万人、さらに民衆力を持っている見所のある若者を兵に追加しました。

そういった賊軍、若者を合わせて約百万人の軍隊となりました。

曹操はこうして戦いを続けるうちに軍隊の増強、名声を高めることとなっていきました。

曹操はこうして力が蓄えられてきたこのタイミングで、自分の父親である曹崇(そうすう)を自分の治める国に呼ぼうと思い、行動にうつしました。

曹崇は大層喜びました。

これまで曹操は自分の親族からあまり評判の良くない人物でした。

ただし曹崇は曹操は出世する息子であると信じていました。

それが今曹操からの迎えにより叶ったのです。

曹崇はすぐに家財道具をまとめて旅の支度を始めました。
そして準備が整い曹操が住むエン州に向かいました。
posted by ライノ at 02:09| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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