曹崇が曹操の元に向かっているということを徐州を治めている陶謙が耳にしました。
曹操と何とかこの将来を考えるにあたり、近い存在になりたいと陶謙は考えていたので、曹崇をもてなすことを考えました。
すぐに陶謙は曹崇を城に迎える為に使いを出しました。
そして城に招き入れました。
陶謙は曹崇を精一杯もてなしました。
そして陶謙は旅の途中に間違いがあってはならないと、自分の部下であるチョウガイに対して五百名ばかりの兵をつけて旅路の護衛にあたらせました。
それは徐州を治める陶謙の命を縮めることになります。
理由は、この護衛にあたらせました五百名の兵は、元々黄巾族であった降伏兵であったのです。
曹崇と一緒にエン州に送られていたのは、金銀財宝でした。
元黄巾族の昔の血が騒ぎ出しました。
そしてチョウガイは昔の黄巾族で暴れていた頃のに戻ればいいじゃないかと五百名の兵をあおりました。
そして・・・ついに曹崇一味を殺害し、金銀財宝を奪い、逃走したのです。
曹崇の死、その悲報はすぐに曹操の耳に入りました。
曹操はこれから親孝行できると楽しみにしていた、その気持ちは簡単に壊されました。
曹操は悲しみ怒り狂い、部下がなだめるのを無視にすぐに陶謙に対し兵を繰り出しました。曹操は徐州に兵を繰り出しました。
その軍には報讐雪恨という文字を書いた旗を何本も立たせて、軍を進行させました。
旗を立てた理由は私的な理由で、兵を繰り出したことに対して、大義名分を示したかった
のかもしれません・・・。
陶謙は曹操の父親が自分の部下によって殺されたことを自分の責任として、無暗に戦うことより自分の首を曹操に差し出し、民衆を戦火に巻き込むことを阻止しようとしました。
しかし、陶謙の部下達は、無条件に降伏するよりも、曹操と戦うことを陶謙に勧めました。
ただし、徐州の兵だけでは兵力も少なく、また戦いなれていないことから、他諸将に応援してもらえうよう、げきを飛ばしました。
しかし、他の諸将は曹操が巨大な力を持っていることを知っており、誰一人として、応援に来てくれる将は現れませんでした。
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2009年10月18日
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