◆黄巾族 制圧後の 董卓による帝王のあやつり 呂布の裏切り◆
黄巾族を制圧した軍隊は各州へ帰っていきました。
一時的に平和を取り戻した洛陽でありましたが、政治を牛耳る十常時がまた世の中を混乱させることとなりました。
そして軍隊を動かす将軍としては肉屋を営んでいた何進(かしん)がおり、何進の妹が帝の子を産み、何進が将軍、妹が妃となっていました。
十常時の悪政ぶりに何進の部下だった袁昭などが怒り、何進に十常時を制圧しよう言いました。
その結果、十常時の住む宮殿を襲うこととなりました。
攻め込まれた十常時たちは自分達の身、身分を維持するため、何進の妹に助けを求め、妹から何進に助けてもらうようお願いしました。
その時、宮殿に呼ばれた何進が十常時により殺されてしまいました。
そこから世の中は大混乱を招くこととなりました。
十常時は殺され、何進の娘の子供、そして本来の帝王の血を受け継ぐ陳留王が逃げました。
董卓軍はそれを見逃さず、自分の手元に帝を置くことを目的とし、その帝の子を追いかけ、確保しました。
その際、董卓凛とする陳留王の姿を見て、帝の変更を考えました。
自分の操作しやすい朝廷を作ろうとしたのであります。
その案を洛陽で各州の将に提言しました。
董卓の強大な力の前に各将は渋々認めざるを得ませんでした。
ただその時、一人の将が声をあげました。
呂布を養子にとる丁原(ていげん)です。
丁原の存在が邪魔となった董卓は丁原を暗殺しようとしましたが、呂布にことごとく防がれました。
董卓の部下、李儒が「呂布を仲間にしてしまえば宜しいではないですか」と進言しました。
李儒はある方法をとり、呂布が丁原を殺し、董卓の部下となりました。
そして董卓が朝廷を動かす力を一時的に持つようになったのです。
この時曹操は董卓の暗殺を企てますが、失敗し逃亡しました。
そして曹操はその後父親の力を借り、資産家から軍備調達を行うための資金をもらい、陳留で挙兵することとなりました。
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2009年12月14日
2009年12月13日
三国志3
前回の続きです。
お茶を持ち帰り、母親はとても喜びましたが、腰元に代々の剣がないことに対し憤慨し、お茶を河に投げ捨てました。
劉備には先代からの血を受け継いた末裔であることを誇りに思って欲しかったのです。
そこから少し月日が流れ、町中で劉備と張飛は再開を果たしました。
張飛はもらった剣を振りかざし、劉備に剣を返し、このようなことを言いました。
「貴方はただの農民ではないはず、高貴な雰囲気を感じる」と。
劉備は隠していた自分の素性を話しました。
漢の中山請王 劉勝の後胤 景帝の血を継いだ者であるということを・・・。
張飛は感激し、自分の心許す義兄弟にも会ってほしいということを告げ、晩遅くでしたが自分の住む村へ急いで走り帰りました。
張飛が急いで走り、今日の出来事を伝えたかった人物は・・・関羽 雲長です。
関雲はこの時代にこういった流言が頻繁にあったので半信半疑でしたが、あまりにも張飛が熱く語るので、しぶしぶ劉備の住む村へついていきました。
劉備を見た瞬間、張飛の言っていたことが真実だとわかりました。
その後、劉備の母親が劉備の家から出てきました。
現在の身なりは貧しく見えても、その気品ある姿を見て思わず張飛はひれ伏し、関雲は頭を下げました。
「こんな時が来ると思っておりました。村のみんなの協力を得て宴の席を用意してあります。」
そう言って桃園に劉備、関雲、張飛を案内しました。
この場で三人には義兄弟の契りを結ぶことになりました。
かの有名な「桃園の義(桃園の誓い)」です。
ここで三人は「我ら天に誓う 我ら生まれた日は違えども 死すときは 同じ日同じ時を願わん」と誓うのでありました。
こうして劉備は世の中を平和にする為に義勇兵を挙げました。
お茶を持ち帰り、母親はとても喜びましたが、腰元に代々の剣がないことに対し憤慨し、お茶を河に投げ捨てました。
劉備には先代からの血を受け継いた末裔であることを誇りに思って欲しかったのです。
そこから少し月日が流れ、町中で劉備と張飛は再開を果たしました。
張飛はもらった剣を振りかざし、劉備に剣を返し、このようなことを言いました。
「貴方はただの農民ではないはず、高貴な雰囲気を感じる」と。
劉備は隠していた自分の素性を話しました。
漢の中山請王 劉勝の後胤 景帝の血を継いだ者であるということを・・・。
張飛は感激し、自分の心許す義兄弟にも会ってほしいということを告げ、晩遅くでしたが自分の住む村へ急いで走り帰りました。
張飛が急いで走り、今日の出来事を伝えたかった人物は・・・関羽 雲長です。
関雲はこの時代にこういった流言が頻繁にあったので半信半疑でしたが、あまりにも張飛が熱く語るので、しぶしぶ劉備の住む村へついていきました。
劉備を見た瞬間、張飛の言っていたことが真実だとわかりました。
その後、劉備の母親が劉備の家から出てきました。
現在の身なりは貧しく見えても、その気品ある姿を見て思わず張飛はひれ伏し、関雲は頭を下げました。
「こんな時が来ると思っておりました。村のみんなの協力を得て宴の席を用意してあります。」
そう言って桃園に劉備、関雲、張飛を案内しました。
この場で三人には義兄弟の契りを結ぶことになりました。
かの有名な「桃園の義(桃園の誓い)」です。
ここで三人は「我ら天に誓う 我ら生まれた日は違えども 死すときは 同じ日同じ時を願わん」と誓うのでありました。
こうして劉備は世の中を平和にする為に義勇兵を挙げました。

